富山村 (千葉県)
とみやまむら 富山村 | |
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廃止日 | 1954年1月15日 |
廃止理由 |
新設合併 富山村、高滝村、里見村、白鳥村 →加茂村 |
現在の自治体 | 市原市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 関東地方 |
都道府県 | 千葉県 |
郡 | 市原郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 12.25 km2 |
総人口 |
2,289人 (国勢調査、1950年) |
隣接自治体 | 鶴舞町、高滝村、里見村、平三村 |
富山村役場 | |
所在地 | 千葉県市原郡富山村古敷谷区字三田谷407番地(1916年現在)[1] |
座標 | 北緯35度20分04秒 東経140度10分14秒 / 北緯35.33453度 東経140.17047度座標: 北緯35度20分04秒 東経140度10分14秒 / 北緯35.33453度 東経140.17047度 [注釈 1] |
ウィキプロジェクト |
富山村(とみやまむら)は、かつて千葉県市原郡に存在し、昭和の大合併により廃止された村。現在の市原市南部(加茂地区)に所在していた。
地理
[編集]市原郡(郡域はほぼ現在[注釈 2]の市原市と重なる)の南部に位置する村であった[2]。1916年(大正5年)時点では、北は鶴舞町、東は平三村、南は里見村、西は高滝村に接していた[2]。
1916年(大正5年)に編纂された『千葉県市原郡誌』によれば、古敷谷(こしきや)・小谷田(こやた)・吉沢(きっさわ[注釈 3])・新井(あらい)の4区(いずれも町村制以前の旧村=大字)からなっていた[4]。これらの4つの大字は、現在の市原市の大字として存続している。
歴史
[編集]平三村は、町村制施行に伴い、市原郡古敷谷村・小谷田村・吉沢村・新井村が合併して発足した。各村(各大字)の詳細については、それぞれの項目を参照のこと。
前史
[編集]明治初年から町村制施行まで
[編集]明治元年(1867年)、当地はいったん宮谷県管轄となったのち、鶴舞藩領となる。明治4年(1871年)に廃藩置県により鶴舞県、同年末には府県統合によって木更津県所属となり、1873年(明治6年)の千葉県発足によりその所属となった[5]。
1878年(明治11年)、古敷谷村は単独で戸長役場を置き、小谷田村は不入・大和田と、吉沢村・新井村は米原村・小草畑村と連合戸長役場を置いた[1]。
村史
[編集]1889年(明治22年)の町村制施行に際して、古敷谷村・小谷田村・吉沢村・新井村の4か村が合併して富山村が発足した[1]。当初は古敷谷村が最大の村であるという理由で「古敷谷村」を新村名を届け出ていたが[6]、「富山村」に改められている[7]。
町村制施行以後の行政区画変遷年表
[編集]- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、古敷谷村・小谷田村・吉沢村・新井村が合併し市原郡富山村が発足。
- 1954年(昭和29年)1月15日 - 高滝村、里見村、白鳥村と合併し加茂村となり消滅。
- 1967年(昭和42年)10月1日 - 加茂村と南総町が市原市に編入。加茂村は消滅。
交通
[編集]道路
[編集]1916年(大正5年)に編纂された『千葉県市原郡誌』によれば、かつては「交通不便を極めた」が、1896年(明治29年)以降、村長による調整や請願などの尽力により道路整備(里道の枢要里道への編入など)が促進され、1916年(大正5年)時点では県道1線・枢要里道3線が通じる[8]。
なお、2023年9月現在、富山村の旧村域内を通過する千葉県道は以下である。
水運
[編集]1916年(大正5年)当時は養老川を利用した舟運も盛んであり、五井町との間で舟や筏が上下していたという[9]。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]参考文献
[編集]- 小沢治郎左衛門『上総国町村誌 第一編』1889年。NDLJP:763698。
- 千葉県市原郡教育会『千葉県市原郡誌』千葉県市原郡、1916年。NDLJP:951002。
- 『明治22年千葉県町村分合資料 七 市原郡町村分合取調』1889年 。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 『千葉県市原郡誌』第二部 町村誌「富山村」 NDLJP:951002/667
- 千葉県市原郡富山村 (12B0090023) - 歴史的行政区域データセットβ版